1974年 オーストラリアの東海岸、ニューサウスウェールズ州バイロン・エリアのグラフトンで生まれる。
父ナット・ヤングは1966年のワールド・チャンピォンで、ロングボード全盛期に極端に短いサーフボードでショートボード革命を起こした張本人である。また80年代にはロングボードの復興の切欠を自ら作り、3度のワールド・ロングボード・チャンピォンになる。そんな偉大な父を持つボウは、2000年、2003年にワールド・ロングボード・チャンピォンになる。しかしコンペティション・サーフィンから突然の引退を表明する と、レコーディングを開始。
2004年10月デビューアルバム「ウェーブ・オブ・チェンジ」をリリース。東京や湘南でライブを行いビューティフルガールズとハワイのワイキキシェルで開催された「ミュージック・ミーツ・アロハ」に出演。日本からは山崎まさよし、ハワイからはジェイク・シマブクロ等が出演した。
2005年はオーストラリア全土、ヨーロッパをライブツアーの後に2度目の来日をする。福岡サンセットライブを皮切りに四国、三島、湘南、秋田等を台風と共に北上。述べ1本のライブを行う傍ら、ボウのサーフィンが日本のサーフィン誌によって撮影され表紙を飾る。
2006年は国内最大のサーフ系フェスティバル「グリーンルーム」横浜と大阪に出演。また東京の新宿、原宿、浅草でライブを行う。5月にはEPとボウのサーフィン映像を納めたデュアル・ディスク「スティル」をリリース。
コンテスト引退後、以前にも増してサーフィン誌、サーフィン・ムービーに登場する機会が増えている。フリーサーファーとして、ボードの種類に制限される事なく、自由に波に乗りシンガーソングライターとし
て、その生き方が注目されている。
2007年9月5日、LD&Kから「BEST OF BEAU YOUNG〜FLOW WITH TIDE〜」をリリ-ス決定!大ヒットコンピ「BEAUTIFUL SONGS〜ココロデキクウタ〜」にも収録された彼の代表曲「PEACE BE WITH YOU」も収録している。珠玉のベストアルバムです!

シドニー出身のプロサーファーで現在はコンテストシーンから引退しているが世界最高峰プロのステージWCT2007年7月現在トップのミック・ファニングをして「マシュー、上手いじゃん」と言わせるくらい波乗りが上手い。
1986年から4年間、WCT(世界プロサーフィンサーキットトップ45)参戦、南アフリカ5位、シドニー3位、ブラジル9位等、世界的に名の知れたプロサーファーだった。91年から日本にベースを移し日本国内のプロサーキットに初の外国人として参戦。95年と99年の2回今だに日本のプロサーフィンサーキットで年間優勝を果した唯一人の外国人サーファーである。2000年からは宮崎県都城の有線テレビ局の番組でリポートを3年間務め、モンゴル等に取材へ行く。
2004年にはサーフィン系出版社エイ出版のNALUの援助でCDデビューを果した。KEISONの誘いで(マシューのお願い)全国で演奏する機会を得た。シンガーソングライターとして多くの異なるステージで演奏することで短期間に実力を付けた。2006年10月、湘南のサーフィン発信基地ビーチカルチャーからの依頼でシドニーでのレコーディングがスタート。
予定は延期され2007年ゴールデンウィークを目指して結局、7月発売も後一歩で逃して、やっと9月5日に発売される。まさにオージースタイル、良く言えば「機は熟した」 このアルバム制作に関わる全ての人は、ごくらくとんぼ状態のようだ。
サーフィンへの情熱と同様、音楽に導かれてマシューは、「Only Surfer knows the Feeling」サーファーだけが知っている感覚、を音楽と自分のサーフィンで世間一般の人達に伝える。海からのメッセンジャー、ピュアーな伝道師である。
2007年9月5日、LD&Kから満を持してアルバム「A Dragonfly In Heaven」をリリース!堪能な日本語と母国語である英語の見事なハーモニー。爽快なフォーキーサウンドは、南半球の大地と大空にトリップされてくれる。そんな地球に優しい1枚です。
